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2008/04/14 11:00

インタビュー

今度はオンラインゲームに挑戦
――梶並 伸博さん(ベクター代表取締役社長)(1/3)

 梶並さんは異色の経歴の持ち主だ。栃木県庁の役人としてスタート、日経マグロウヒル社勤務を経て独立、ベクターを設立した。CD-ROM付き雑誌で成功しながら、インターネットを利用したソフトの通販を軌道に乗せることに執念を燃やし続けてきた。それが軌道に乗った今は、オンラインゲームにのめり込んでいる。「この業界で最終的に生き残れるのはせいぜい10社。その中に入ってみせる」と梶並さんは自信満々だ。【取材:2007年10月10日、ベクター本社にて】

プロフィール

梶並 伸博(かじなみ のぶひろ)

 1957年、栃木県宇都宮市生まれ。80年3月、東京工業大学社会工学科卒業、同4月、栃木県庁入庁。81年、日経マグロウヒル社(現:日経BP社)入社。89年、ベクターデザイン設立、社長に就任。2000年、ナスダック・ジャパン(現:ヘラクレス)に上場。
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男

<1000分の第20回>

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。

最初の就職先は栃木県庁

 奥田 お役人がスタートだったんですって?

 梶並 ええ、学生時代はキャリアになるつもりでした。その模擬試験のつもりで、栃木県庁の試験を受けたら合格しまして、1980年4月にそのまま県庁に入りました。

 税務課に回され、自動車税の課税・徴収を担当しました。ところが、お盆の時期など人がほとんど来ませんので、15分ほどで仕事が終わってしまうんですよ。で、何をやるかといえば、古い書類を探してきて燃やすなんてことをやってました。カーボン紙で焼き芋をつくる経験なんて初めてしました(笑)。

 奥田 お役人を3日やったらやめられなくなると言いますが、本当にそうなんだ。

 梶並 ただ、ある時、世の中のことを何も知らないことに愕然としたんです。ガードレールはどこの会社が作ってるんだろうとか、灰皿はどんな会社がとか、まあ、愚にもつかない疑問といえばそうなんですけど、とにかく、もう少し世の中のことを知りたいという思いがどんどん強まり、県庁を辞めることにしました。81年の3月に辞めましたので、役所には11か月間在籍したことになります。

日経マグロウヒルを経て独立、ベクター設立

 奥田 次のあてはあったのですか。

 梶並 世の中のことを広く知るにはジャーナリストの職に就くのがいいかなと思っていました。たまたま日経マグロウヒルが社員を募集していることを知り、応募したんです。最初は「日経バイト」の立ち上げ、ついで、「日経パソコン」、パソコン通信の「日経MIX」の立ち上げなどの仕事に携わって…。ふと気がついたら、世の中のことを広く知ろうと思っていたのに、知ったのはパソコンのことだけ。

 それで一念発起、独立することにしました。87年に日経マグロウヒルを退社、フリーで仕事をしながら、89年に有限会社ベクターデザインを設立しました。

 奥田 ベクターという社名にはどんな思いを込めたのですか。

 梶並 ベクトル、つまり方向性のある力という意味を込めました。ただ、後で知ったんですが、ベクターには、ネズミやゴキブリのように、伝染病の媒介役という意味があるんだそうですね。1年前にはウイルス事故を起こし、本当にベクターやっちゃうとは思ってもいませんでしたけれど(苦笑)。

 奥田 その会社で、どんな仕事をしようと…。

 奥田 独立した当座は、これといって明確な目標は持っていませんでした。それが、93年にある販売業者の社長と秋葉原で飲んでいたとき、アメリカではPDS、パブリック・ドメイン・ソフトのCD-ROM化が流行りだしている、これが日本にもあるといいねという話になったんです。いわゆるフリーソフトなんですが、だんだん話が弾み、われわれでやろうかということになりました。それで、その社長をはじめ、知っている大学の先生、サラリーマンなどに声をかけてまとめたのが「PACK2000 1994年後期版」でした。

 CD-ROM付きフリーソフト・シェアウェア集で、94年7月に発売。非常に好評で、3号目で黒字になり、借りた金は1年で返せました。最初の版はCD-ROMは1枚でしたが、だんだん増えて最後は12枚までになった。

 ただ、CD-ROMは箱に詰めたりしないといけませんから、「めんどくさいね」という話は仲間内でよく出ていました。それで、パソコン通信に関心を持ち、95年の12月にインターネット上でのパソコンソフトをタダでダウンロードできる専門サイト「THE COMMON for SOFTWARE」を開設したわけです。回線は東京インターネットさんを利用しました。

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