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2016/03/03 09:31

インタビュー

[週刊BCN 2016年02月29日付 Vol.1618 掲載]

日中に「和」の「華」を咲かす(上)
日中文化誌『和華』編集長 孫 秀蓮

 「尖閣問題」の激化により日中関係が極度に冷え込んだ2013年秋、一人の中国人留学生が『和華』という季刊誌を創刊した。政治や宗教をこえた日中両国の文化発信、相互理解、友好交流を目的とし、学生や社会人による草の根外交を目指すという。編集長の孫さんはまだ20代の若者だが、大学院での勉学のかたわら、寸暇を惜しみ、アルバイト代をつぎ込んでこの雑誌をつくり上げた。志の高いパワフルな女性だ。その強烈なモチベーションはどこから生まれるのか。ぜひ聞きたいと思った。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・長谷川博一)

プロフィール

孫 秀蓮(Sun Xiu Lian) 1986年、中国山東省臨沂市生まれ。済南大学日本語学科を卒業後、2009年に来日。京都大学などを経て、13年4月、滋賀大学大学院に進む。同年10月に『和華』を自費で創刊。15年3月、滋賀大学経済学研究科前期博士課程修了。現在は、アジア太平洋観光社で『和華』の編集長。同社のイベントの総括も務める。

2016.1.20/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

株式会社BCN 会長 奥田喜久男

<1000分の第155回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

日本に興味をもつきっかけは『菊と刀』を読んだこと

奥田 お会いするのを楽しみにしていました。

 ありがとうございます。私も前からお目にかかりたいと思っていました。

奥田 『和華』はとても意義のある雑誌ですね。孫さんは、この『和華』を留学生時代に創刊されましたが、まず、中国から日本に留学するまでの経緯を教えてください。

 出身は山東省の臨沂市で、済南大学の日本語学科を卒業した2009年、もっと日本語が上手になりたい、もっと日本文化を知りたいと思い、日本にやってきました。

奥田 日本語学科を選んだ理由はなんだったんですか?

 きっかけは、ルース・ベネディクトの『菊と刀』を読んだことでした。高校生のときに読んで、日本人の国民性に興味を抱いたのが始まりです。

奥田 孫さんが感じる、日本人のよい面とよくない面を教えてくれますか。

 よい面はたくさんあると思います。例えば、一般の中国人に比べて、きれい好きであるとか、ルールをきちんと守るとか、環境に気をつかうとか……。それから一番感じるのは、頑張れば何らかの形で報われる社会であることですね。

奥田 頑張れば報われる……。

 中国はコネの力が無視できない社会ですから、頑張っても報われないことが少なくありません。

奥田 なるほど。それでは日本人のよくない面は?

 ルールを守るのはいいのですが、融通が利かず建前が多いと感じます。また、仕事に対するモチベーションやチャレンジ精神が足りず、曖昧な表現をすることもよくない点だと思います。すみません。好き勝手に言ってしまって……(笑)。

奥田 いえいえ、遠慮なくおっしゃってください(笑)。でも、日本人から中国人をみると、あまりにもはっきりしすぎていますね。もちろん、議論の場でははっきりと意見を述べるべきですが。

 日本人には曖昧な面はありますが、そこに思いやりや心づかいも込められていると思います。人を傷つけたくないという気持ち、あるいは自分が傷つきたくないという気持ちも強いのかもしれません。

奥田 さすが、よく見抜いていますね。それで『菊と刀』からは、どんな日本人像が浮かんできましたか?

 一番感じたのは、一見、矛盾してみえることが、日本人のなかではきちんと両立しているということでした。

奥田 なるほど。それは確かに日本人の特質かもしれませんね。

京大院試の失敗が『和華』の夢を生み出す

奥田 孫さんは日本に留学する際に、どんな将来像を描いていたのですか。

 小学生の頃から、大学の教師になりたくて頑張ってきました。日中の文化を比較研究する先生になりたかったのです。ところが、その私の大きな夢は壊れてしまいました。

奥田 それはどうして?

 当初は三重大学の教育学の修士課程に1年半在籍したのですが、一度退学して京都大学の大学院を目指すことにしました。ところが、京大に研究生として2年間在籍した後に大学院の入試を受けたのですが、失敗してしまいました。日本に来てから英語の勉強を怠っていたのがその原因でした。その後、経済学専攻で滋賀大学の修士課程に進んだのですが、京大の院試に失敗したときはひどく落ち込み、4か月ほど、引きこもりのような状態になってしまったのです。

奥田 いまのアクティブな孫さんからは想像がつきませんね。

 この時点で日本に3年半滞在しているのに何の学位もとっておらず、一緒に日本に来た友達はみんな卒業していくし、ビザももうすぐ切れてしまう。自分の能力不足とはいえ、もう、これ以上失うものはないと思うほど落ち込みました。

奥田 そこで、大学の先生はあきらめたと。

 はい。その引きこもっている間は、学校にもアルバイトにもほとんど行かず、哲学の本ばかり読んでいました。つまり、今までの人生をリセットしようと“自分探し”を始めたのです。これが26歳のときのことです。毎日、本を読んで、毎日、日記を書きました。その日記は中国語で書いたのですが、トータルで8万字ほどになりました。ただ、そこに自分の悔しい思いを表現するのではなく、どうして失敗したのかを客観的に分析したのです。その分析をし終えたら、何か生き返ったような気持ちになりました。

奥田 思索の末、何かに気づいたのですね。

 教師への夢をあきらめて一つわかったのは、大学のネームバリューは私自身とは関係ないということです。京大であろうと滋賀大であろうとその他の大学であろうと、やりたいことがあれば、どこでもやれると信じたのです。日中文化の比較研究をしようと思ったと言いましたが、大学の教員というルートがダメだったら、別のルートを探せばいいと思えるようになりました。

 もう一つ、これ以上失うものはないという気持ちになったことで、物怖じしないで誰にでも会えるようになりました。相手がいくら社会的立場の高い人でも、会っていただければありがたいし、無視されたら、いくら偉い人でも頭をさげて迎合する必要はないと思いました。つまり、それまで私になかった勇気が生まれたのです。

奥田 京大の大学院生になることが目的ではなく、自分の夢をかなえることが目的だということを、4か月間考え抜いて、自分のなかから導き出したわけですね。そして、不思議な力、勇気が湧いてきた……。

 京大にこだわるのではなく、自分を磨いて夢をかなえることが大切だと考えるようになりました。

奥田 この『和華』は、そうした状態から生まれたわけですね。創刊時の思いを聞かせてくれますか。

 自己分析をするなかで、自分には世の中に何かを残したい、何かを発信したいという気持ちがあることが明確化されて『和華』の創刊につながりました。つまり、京大の試験に失敗しなければ『和華』をつくることはなかったのです。(つづく)


『和華』の創刊号と最新号

 大切にしているお気に入りのものを事前にリクエストしたら、やはり『和華』しかありえないという答えが返ってきた。手づくり感満載の創刊号とリニューアル後の最新号とでは見た目はかなり異なるが、そこに流れる孫さんの熱い思いに変わりはない。

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