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2016/03/10 09:27

インタビュー

[週刊BCN 2016年03月07日付 Vol.1619 掲載]

日中に「和」の「華」を咲かす(下)
日中文化誌『和華』編集長 孫 秀蓮

 孫さんと話をしていると、「私心なしに、どうしてそこまでやれるのか」と感じた。と同時に私自身も何度か似たような言葉をかけられたことを思い出した。直接的な収益に結びつかない事業やイベントに、どうしてそこまで入れ込めるのかという問いかけだ。なぜ、と聞かれても論理的に答えることはできない。ただ、そこに「自然に入っていく」という感覚なのだ。おそらく孫さんにも、そういう感覚があるのではないか。まったく属性は異なるものの、どこか共通項があるように思えてならない。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・長谷川博一)

2016.1.20/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

株式会社BCN 会長 奥田喜久男

<1000分の第155回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

世の中には三種類の人がいる。私は…

奥田 京大の大学院の入試に失敗しなければ、自己分析をすることもなく『和華』も生まれることがなかったということですが、そのときどんな分析をしたのですか。

 最初に考えたことは、世の中には三種類の人がいるということです。

 まず、平凡な人生を送るタイプ。結婚して子どもを産み、それで満足できる人は、おそらく幸せになると思います。次のタイプは、社会を変えて世の中を動かす能力を生まれつき備えているタイプ。そういう人も幸せだと思います。三つめは、それほど能力はないけれど、高い目標を目指すタイプ。これは絶対苦しいと思います。

奥田 孫さんはどのタイプですか?

 自分はまさに三つめのタイプだと思いました。普通の家庭に生まれて、とくに誇れるキャリアや能力もなく、モデルのようなきれいな女性でもない。つまり何も頼れるものをもっていません。でも、世の中に何かを残し、いろいろな人に影響を与えたいのです。

奥田 いく分謙遜も含まれているのでしょうが、孫さんは厳しい道を選んだということですね。

 そういう私が幸せになる方法は一つだけ。もっと自分を磨き、もっと優秀で世の中を動かすことができるような人にならなければいけないと思いました。そのために『和華』をつくったのです。

奥田 筋が通っていますね。日本では、孫さんのような考え方をもった人のことを「志の高い人」といいますが、その志は、いつ、どのようにして築いたのですか。

 やはり、考え抜いた4か月ですね。このまま流されて人生を送るのではなく、家族や友達以外の人にも、何らかの影響を与えるという究極的な目標をいつか実現するため、この時期に人生を振り返る必要があったのだと思います。

奥田 全然、引きこもりじゃないですね(笑)。「面壁九年」という言葉がありますよね。達磨大師が壁に向かって9年間座禅を組んで悟りを開いたとされていますが、孫さんの場合は4か月で悟りを開いたわけですね。

 そうですね。人生観が変わりました。このとき、私の求めている「幸せ」は、普通の女性の思っている「幸せ」とは違うということに気づいたのです。

奥田 一つめの専業主婦タイプではなく、いまは三つめのタイプだけど、いずれ二つめの世の中を動かすタイプになってやるぞと。

 そうありたいですね。

多くの出会いが『和華』と自分を支えている

奥田 アルバイト代を注ぎ込んで『和華』を創刊したということですが、当時はどんな生活だったのですか。

 2013年10月の創刊ですから、私はまだ滋賀大学の修士1年に在籍していました。13科目履修し、授業は月曜から金曜までの毎日で、成績はすべて「優」でした。9時から13時まではコンビニで、17時から翌朝6時までは居酒屋でアルバイトです。そして、必ず毎月1回は夜行バスで京都から東京に行って、寄稿者や協力者の方々にお会いしていました。

奥田 寝る間もないハードな日々の生活ですね。

 当時、私は関西地方で学生生活を送っていたため、東京には知り合いが一人もいませんでした。主にFacebookを通じて執筆依頼をし、実際に東京でお会いしたのですが、その方々の支えなしには『和華』はできなかったと思います。そのなかのお一人から、再び私の人生観を変えるようなアドバイスをいただいたのです。

奥田 それはどんな言葉だったのですか?

 その方は中国人の経営者でしたが「私は時間をつくってあなたに会ったが、それにより私に役立つことは何もありません。ただ、なぜ学生がアルバイトをして雑誌をつくろうとするのかを確かめたかっただけです」と、はっきりおっしゃったのです。そして、もう一つ「次の三つの条件が揃えば、あなたは誰にでも会える」と言われたのです。その条件とは、私心がないこと、素直であること、行動力があることでした。

奥田 厳しい物言いに聞こえますが、若い人に向けた的確なアドバイスですね。

 そして、「あなたが何か困ったとき、まだ頑張れると思ったら連絡はしないでほしい。でも、もう倒れそうだと思ったら私に連絡しなさい。必ず助けるから」と言ってくださったのです。

奥田 それもすごい。興味深い人物ですね。

 私にとって大きな出会いだと思っています。

奥田 ところで、『和華』は昨年10月発行の第8号から大きくリニューアルして、発行元もアジア太平洋観光社になりました。

 社長の劉莉生さんに執筆依頼をした縁でスポンサーになってもらうことになりました。この会社は、文化事業やイベントを行っており、私も勤務して『和華』の編集長を引き続き務めるとともに、そうした仕事にも携わっています。第7号まではボランティアで雑誌づくりをしていたため反対する声もありましたが、いままでどおり自由につくれるということで、メンバーには納得してもらいました。まだ完全に赤字ですが、社長はそれを承知のうえで応援してくれていますし、もし私が会社を離れるようなことがあれば『和華』も一緒にもっていっていいと言われています。

奥田 ところで10年後には何をしていたいですか?

 10年後には、自分自身の意見を発信できる「文化人」として生きていきたいと思います。いまは、編集者として書いたインタビュー記事などが『和華』に掲載されていますが、それは自分の声ではありません。自分の著書も何冊か出して、みなさんとのつながりをいつまでも保ち、何らかの形で社会に貢献できればと考えています。そして、もちろん『和華』の編集者も続け、日中文化雑誌といえば『和華』と言われるような存在に育て上げたいですね。

奥田 孫さんの頑張りがあるからこそ、いろいろな方が応援してくれているのですね。

 第7号までの『和華』は、ボランティアのメンバーが時間と労力をかけてつくってきました。私が始めた雑誌ですから、私が頑張るのはあたりまえです。でも『和華』は私のものではありません。みんなの支えがあってこその『和華』なのです。

 私はある日本の方から言葉をいただきました。「孫さんを応援するのは、孫さんから恩返しを求めるではなく、『和華』も孫さんももっと強くなって、日中の友好に貢献できるようになることを期待しているからです。恩は遠くから返せ」と。これもまた私の人生観に大きく影響を与えた言葉です。『和華』をもっと立派な雑誌に育て上げ、『和華』を通してさまざまな分野の方々に参加いただいて、草の根から日中の文化交流の燎原の火が巻き起こり、やがて多様なつながりに実っていけば、それがみなさまへの恩返しです。

奥田 孫さんありがとうございました。『和華』はますます発展していきますね。


こぼれ話

 『和華』は「わか」と読む。日中文化誌だ。孫さんがまだ関西の学生だった2013年10月に創刊した。対談の60分間にこの雑誌名が孫さんの口から幾度出ただろう。どれほど深く思いを入れているのか、ひしひしと伝わってくる。創刊当時のことや発刊を続ける悲鳴ともいえる顛末を聞くほどに心に刺り、私は創刊時を思い起こした。

 35年前に『週刊BCN』を発刊した。当時は寝ても覚めても新聞を発行することを考え続けていた。どうかすると、今もテンションが上がることがある。孫さんは言う。「『和華』の発刊は私の人生そのものです」と。子どものような存在なのだ。『和華』創刊号のページを繰っていくと孫さんの思いが伝わってくる。凄い力だ。

 2年経って孫さんは社会人になって東京に出た。雑誌もモノクロからカラーへと脱皮した。会ってみよう。1月20日に対談が実現した。話が進むに従って、疑問が湧く。どうしてそこまで自己犠牲をして日中の架け橋になるのか。話すうちに孫さんの目は潤んでくる。「私、涙もろいんです」。

 孫さんの雑誌を紹介してくれたのは片貝孝夫さんだ。対談の2週間後の2月3日に片貝さんの野辺の送りをした。私と片貝さんの初対面は1980年になる。新聞の創刊を逡巡していた頃だ。発刊すべきかどうか。悩んでいた。マイコンの時代はくるのか。片貝さんに小学館ビルの会議室で取材した。「奥田さん、新聞を出すべきです」。今もあのシーンを記憶している。孫さんとの不思議な縁を感じる。片貝さん、「ありがとう」。ご冥福をお祈りします。

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