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2016/03/17 09:27

インタビュー

[週刊BCN 2016年03月14日付 Vol.1620 掲載]

北の大地に根づくU-16プロコン 「旭川モデル」として釧路、帯広へ(上)
北海道旭川工業高等学校情報技術科教諭 下村幸広

 全国でプログラミングを学ぶ学生・生徒向けのコンテストには、高専プロコンやU-22プロコン、高校プロコンなど、年齢や属性によって異なる大会がある。そのなかでおそらく最年少のカテゴリがU-16旭川プロコンだ。出場者は中学生中心で、大会前にプログラミングの指導をするのは、地元の高校生、高専生だ。このコンテストの仕掛け人であり、実に工夫された仕組みの「旭川モデル」をつくった旭川工業高校の下村幸広先生に、ご自身の足跡、そしてU-16プロコンへの思いをじっくりとうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・長谷川博一)

プロフィール

下村 幸広(しもむら ゆきひろ)
 1968年、北海道虻田郡喜茂別町生まれ。帯広工業高等学校の実習助手を経て、北海道教育大学釧路校大学院(技術教育)修了後、釧路工業高等学校に電気科教諭として赴任、その後、旭川工業高等学校情報技術科教諭、現在に至る。U-16旭川プログラミングコンテスト実行委員。

2016.1.28 /東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

株式会社BCN 会長 奥田喜久男

<1000分の第156回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

全日本クラスのアスリートがアルゴリズムの世界に

奥田 先生が「U-16旭川プログラミングコンテスト」を始められて5年が経ちましたが、プロコンの話題に入る前にご自身の生い立ちを教えていただけますか。

下村 生まれたのは北海道の喜茂別という町で、洞爺湖と支笏湖のあたり、羊蹄山の東側の麓です。羊蹄山は蝦夷富士ともいわれ、形が富士山にとても似ているんです。スキーが盛んな場所で育ちました。

奥田 もともとのルーツは北海道なのですか。

下村 父方の祖父は新潟の長岡出身で、北海道に渡って放浪した後に商売を始め、漁師相手に漁具や漁網、長靴などを商い、父もその跡を継ぎました。

奥田 そこから先生は教育の道に?

下村 実は、私は高校時代に陸上の400mハードルでインターハイに出たことがあるんです。それである短大から誘われて入学し、卒業時には高校の実習助手の仕事を紹介されました。当時は先生になるつもりはなかったのですが、それが教育界に入るきっかけです。

 実習助手は、実験や実習のお手伝いをする仕事ですから、生徒から「先生」と呼ばれるのが居心地が悪くて、仕事をしながら北海道教育大に通って単位を取り、大学院に進んで正式な先生になりました。

奥田 インターハイに出たことが、教職への道につながったわけですね。

下村 そうなんですが、陸上に区切りをつけた後はモーグルの選手になったんです。もともと雪深い場所に育ったので、スキーは小さな頃からやっていました。五輪を目指して、全日本選手権には3回出場し、昨年までは、国際スキー連盟や全日本スキー連盟の審判員も務めました。だから選手だった頃は、ITとかものづくりといった雰囲気はまったくなかったですね。

奥田 アスリートとしてトップレベルだったんですね。ITやものづくりとは、どこでどう出会ったのですか。

下村 実習助手からスタートして、大学院を出て工業高校の教諭になっても、自分の力量不足を実感していました。それで、自分の得意分野は何かと考えたら、パソコン、アルゴリズムの世界に行き着いたんです。

奥田 パソコンに触れるきっかけはなんだったんですか。

下村 1982年頃、たしか中学3年のときです。父がパソコンを買ったのです。仕事用ではなく趣味で。まだ出たばかりの時期ですから、相当高価だったと思います。

 ところが、父は買って2週間くらいで使わなくなってしまったので、私がそのパソコンで遊んでいました。だから、キーボードアレルギーもありませんでしたし、興味が深まっていくとプログラミングもやるようになっていました。

奥田 プログラミングはいつ頃から?

下村 初期のパソコンでプログラムを改造したのは高校生のときですね。

奥田 パソコンとの出会いはずいぶん早いんですね。

下村 出会いは早いですけど、当時はオモチャのイメージしかないですね。

構想から1年弱でU-16プロコンを開催

奥田 第1回のU-16旭川プロコンは2011年9月の開催ですが、いつ頃からその「旭川モデル」構想を練られていたのですか。

下村 その前年の10年に高校プロコンの全国大会に出場したことがきっかけです。実は、この年、2年連続出場していた高校生ものづくりコンテストの全国大会に出ることができず、時間に余裕ができたのでプロコンに初参加したんです。はからずも全国大会に出場することができました。そこで、私は非常に感銘を受けました。大会の仕組みは簡単なのによくできていて、子どもたちが熱中する材料としてはとてもいいと思い、地元の仲間──IT会社の社長やフリーランスのプログラマ、大学の先生などに、「旭川でもこうしたことができないか」と説いて回りました。

奥田 これが「旭川モデル」誕生のきっかけなんですね。高校プロコンに出会って、その翌年にはもうU-16旭川プロコンを開催した先生の発想と行動力もすばらしいですが、地元の方々の力もすごいですね。

下村 すぐに実行委員会をつくろうということになって、大学・高専の先生が3人、中学の先生が1人、IT企業の経営者が4人、それに私を加えて9人でスタートしました。

 最初は、U-16にするかどうかも決めていませんでした。当初は中学生に限定しようと考えたのですが、中3で終わりではもったいないということで、高1まで範囲を広げました。高3までを対象にすると一段階上のイメージがあるけれど、高1までなら広がりが出るだろうと考えたのです。

奥田 教育界でも、15~16歳というのは一つの重要なポイントと捉えているのですか。

下村 高校を選択する時期ということもありますが、自分は何が得意で何が好きかを考え、一段階ステップアップするのがそのあたりの年齢だという感覚はありますね。

奥田 U-16というからには、小学生もエントリしていいんですね。

下村 昨年の第5回大会では、小学生どころか幼稚園児がエントリしてきました。さすがに驚きましたね。「年長」とありましたから5歳です。ウェブ上に、パーツを組み合わせてゲームをつくる仕組みがあるのですが、それを使って作品を提出してきました。

奥田 先生の評価は?

下村 作成過程はわかりませんが、できたものはすばらしいと思いました。きちんとしたシューティングゲームで、「本当に幼稚園児がつくったのか」というくらいの出来映えでした。

奥田 子どもがタブレット端末で絵を描いて、「すごいね」とほめてもらうようなレベルではないですね。

下村 全然違います。『子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい』という本があるのですが、そこにU-16プロコンの話も紹介されています。タイトルは扇情的ですが、プログラミングを学ぶことによって得られる論理的思考やスキルは、これからもっと重要になるという内容で、おそらく、こうした子どもたちの親御さんもそのあたりを意識しているのかもしれませんね。(つづく)


カシオのデジタル腕時計

 中学生のときに父君からもらった腕時計がこのタイプで、それ以来同じようなものを使い続けている。授業中にちらっと見て、その瞬間に表示された秒数と同じ出席番号の生徒を指名したりするという。そんなデジタルの利用法がおもしろい。

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