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2017/03/06 09:03

インタビュー

[週刊BCN 2017年02月27日付 Vol.1667 掲載]

コミュニケーションを大切にして家族的経営を守り続ける(上)
メッツソフトウェア 代表取締役会長 野口アキラ

 創業32年目に入ったメッツソフトウェアだが、その創業経営者である野口アキラさんは売り上げや利益に対して恬淡とした姿勢をとる。もちろん、会社を維持・繁栄させていくことは経営者の使命だ。しかし、野口さんはいたずらに規模を拡大することよりも家族的な雰囲気のなかで仕事をすることを優先する。「利益が出たら赤字にならないよう少しだけ残して、あとは社員に還元します」という言葉に、ご自身の経営観、そして人生観が反映されているように思われた。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・長谷川博一)

プロフィール

野口 アキラ(のぐち あきら)
 1957年、福岡県北九州市生まれ。78年3月、国立大分工業高等専門学校機械工学科卒業後、日立ソフトウェアエンジニアリング(現・日立ソリューションズ)入社。85年7月、メッツソフトウェアを創業し代表取締役社長に就任。2016年7月から代表取締役会長。ヒューマンネットワーク高専事務局長、渋谷法人会副会長などを務める。

2016.12.28 /東京・渋谷区のメッツソフトウェアにて


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

株式会社BCN 会長 奥田喜久男

<1000分の第179回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。


開発対象を大型汎用機からオフコン、パソコンに

奥田 初めて野口さんとお会いしてから、もう25年ほどが経ちますね。

野口 お会いするきっかけになったのは、ヴァル研究所のデータベースソフト「ナイル」のリリースでした。「ナイル」の前身が「ファラオ」で、その前は16ビットの「ぱぴるす」、初代は8ビットの「パピルス」ですね。

奥田 その「ファラオ」を利用してシステム開発をする人たちが集まって情報交換をする「ぱぴろじすと」という組織があったわけですが、ぱぴろじすとについては後でゆっくりお話をうかがうことにして、まずは野口さんご自身のキャリアのスタートから聞かせてください。

野口 1978年に日立ソフトウェアエンジニアリング(現・日立ソリューションズ)に入り、当時、横浜の戸塚駅前にあったソフト工場に通っていました。

奥田 78年の日立というと、IBMコンパチブルのマシンの時代ですね。

野口 Mシリーズです。金融機関向けのソフトを開発していました。言語はアセンブラでした。

奥田 その後、起業されるわけですが、日立から独立する人はそれほど多くない気がします。

野口 そうかもしれません。大きな志があったわけではないのですが、まわりからはサラリーマンに向いていないとよくいわれていましたね。自分ではそう思いませんでしたが(笑)。

奥田 メッツソフトウェアの創業が1985年ということは、2015年が30周年ですね。何か記念のイベントをされましたか。

野口 派手なパーティを開くようなことはしていません。社員に還元する意味で、それぞれ家族単位で、京王プラザホテルのなかのレストランで食事をしてもらいました。

奥田 家族も一緒にねぎらう。なかなか味なことをされますね。ところで、創業はどのような形でしたか。

野口 仲間と2人で創業し、最初は大型汎用機のプロジェクトを手がけました。これもMシリーズです。大きな案件のため何年もかけてやっていくつもりでいたのですが、実は最終的な開発まではしていません。1年半ほど、要件分析をし、基本設計を行った段階で機種が突如変更になったんです。それで終わり。そういうことが昔はあったんですね。

奥田 それは困ってしまいますね。

野口 そこで、開発対象を汎用機からパソコンやオフコンに移していったんです。それが87年頃のことです。

奥田 87年ということは、パソコンが業務用として使われはじめた時期ですね。

野口 トフルゼミナールという予備校がシステムを全部みてほしいということで、直接仕事をいただきました。これはありがたかったですね。

奥田 具体的にはどんな仕事だったのですか。

野口 この予備校ではdBASEというシステムを使い、パソコンで成績管理をしていたのですが、そのメンテナンスと、オフコンでさまざまなシステムの開発をしました。具体的には、願書受付や公開模試などの管理ソフトですね。  運がいいことに、その予備校はどんどん拠点を増やしていったので、そのたびにオフコンが導入され、開発の仕事も途切れませんでした。

喫茶店で話し込む 野口流コミュニケーション

奥田 予備校の仕事だけで、会社が回るようになったのですか。

野口 当時は人数を増やしていたので他の仕事もしていました。この時点での社員数は10人ほどです。ただ、私は未経験者しか採用しませんでした。

奥田 それはなぜですか。

野口 未経験者だと教育もできて、自分がみてあげながら開発もできるからです。独り立ちできたら別の仕事をやってもらうというパターンを続けました。

奥田 手間がかかると思うのですが、教えることが好きなのですか。

野口 会社をやりながら専門学校の講師もしていましたし、就職情報誌に初めて求人広告を出したとき「未経験者を育てますよ」ということを前面に出しました。そうしたら300人も応募があって、面接だけでも大変でしたね。

奥田 面倒見のいい野口さんらしい経営法ですね。いまは何人おられるのですか。

野口 15人です。一時は25人ほどまで増えたのですが、家族的な雰囲気でやっていきたいという思いがあったので、しばらく採用を抑えたのです。

奥田 25人では多すぎると。野口さんにとって、家族的とはどういうことでしょうか。

野口 私自身が、全員と話ができるということですね。

奥田 100人でもできるのでは。

野口 それは厳しいですね。ここ20年ほど、社員と1対1で話すようにしているんです。しかも喫茶店で。

奥田 なんでまた喫茶店で?

野口 喫茶店でなら、こうやって応接セットで対面している距離より近くで話せます。すると、話題はいろいろですが、とても深い話ができるんです。

奥田 相手を深く理解できるということですか。でも、居酒屋ではダメなのですか。

野口 飲んで話すと気が大きくなりますからね。食事をしながらでも、食事に気をとられて話の内容がおろそかになります。でも、喫茶店で向かい合って1対1で話すとお互いに入っていけるんですよ。ただし相手が2人いるとダメです。1対2はダメ。

奥田 そんなに話好きでしたっけ。

野口 そんなことはありませんが、これが一番いいコミュニケーションだと思いますね。それで、私は妻とも喫茶店で1対1で話すようにしているんです。買い物の帰りとか、ちょっとコーヒー飲んでいこうかと。

奥田 家で話せばいいのに(笑)。

野口 いや、そこはやっぱり違うんですよ。

奥田 なるほど、奥さんとも互いの価値観を交流させる。「野口アキラのコミュニケーション術」みたいな本が書けそうですね。(つづく)

充実したオフタイムがみえてくる本棚

 改めて本棚を眺めると、趣味のランニングや旅行、歴史の本が多いことに気づいたとのこと。最近は丸型ポストめぐりにこって、オリエンテーリングのように地図で探しながら写真を撮っているそうだ。



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