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2012/08/02 09:31

インタビュー

[週刊BCN 2012年07月30日付 Vol.1442 掲載]

中国のコピー機市場は「直販、直サービス」で攻める
富士ゼロックス 代表取締役社長 山本 忠人

 1960年代から70年代、80年代と、経済の成長につれて、日本ではコピー機市場が破竹の勢いで立ち上がっていった。その頃の市場の盛り上がりと、現在の中国が二重写しにみえてくる。メーカーの戦い、代理店の絡み合い、モノクロ機、カラー機……。そうした戦国時代の只中でしのぎを削っている富士ゼロックス山本忠人社長を訪ねて、中国コピー機市場をいかに攻略するかについてうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男、構成/谷口 一、写真/大星直輝)

Profile

山本 忠人(やまもと ただひと)
1945年10月、神奈川県生まれ、68年、山梨大学工学部卒業。同年4月、富士ゼロックスに入社。94年1月、取締役VIP事業部長。2002年6月に代表取締役専務執行役員。その後、技術開発・生産・品質本部などを管掌し、07年6月、代表取締役社長に就任、現在に至る。

2012.6.6/東京・港区の富士ゼロックス本社にて

強みは「直販、直サービス」

奥田 御社が中国に最初に進出されたのは、何年頃ですか。

山本 私どもは遅れをとっていて、ものづくりは95年からです。円高が急激に進んで、当時は海外に出ざるを得なくなったという感じでしたね。

奥田 その後の歩みというのは?

山本 95年は、工場で進出しました。富士ゼロックスシンセンです。中国のマーケットは、当時ゼロックスコーポレーションのテリトリーで、販売はやっていません。

奥田 そうした関係が変わったのはいつ頃ですか。

山本 2000年です。米国ゼロックスから中国の商権を買わないかという話がきたのです。もともと、私どもはアジア圏への進出はビジョンとしてもっていましたから、いいチャンスでした。

奥田 2000年当時に中国の商権を買うということは、すんなりと決まったのでしょうか。

山本 95年時点では、マーケットとしてはまだまだでしたが、2000年にはだいぶ様相が変わってきていましたね。中国はマーケットとして将来性があるということは、売却側の米国ゼロックスも言っていましたからね。

奥田 だからこそ、商権を手に入れたわけですね。

山本 そうです。2000年に買収したときには、事業権を獲得したので、上海の工場も含まれ、開発部門の一部や販売会社もありました。でも、米国ゼロックスの営業方針は基本的に間接販売しかやっていませんでした。ディーラーに比較的安価な商品を流すやり方です。おもしろいことに、私たちが生産した富士ゼロックスの機械も結構、市場にあったんです。米国ゼロックスはハイエンドの機械が多くて、ローエンドの機械は調達できない。だからローエンド主体の富士ゼロックスの機械が市場にあったわけです。2000年に商権を手に入れたときに、われわれの強みは何かと考え、それは米国ゼロックスがやっていた間接販売ではなく、「直販の直サービス」だと決断したわけです。そこで営業教育、サービスの強化を始めました。

奥田 それは2000年に商権を手に入れて、すぐにですか。

山本 すぐです。

奥田 上海の工場も米国ゼロックスから引き継いだわけですね。

山本 引き継ぎました。が、ものづくりという観点からすれば、かなり貧弱な工場で、継続するかどうかをずいぶん議論しました。継続に落ち着いたのは、92年の・小平の南巡講和に始まった新しい流れのなかで、いずれ中国にマーケットができると確信したからです。上海の工場をつくり直して、市場に近い場所でものをつくったほうが、ディストリビューションにもいいし、現地のニーズを拾い上げるのにも最適だと決断したのです。

奥田 最初はどんな製品でしたか。

山本 富士ゼロックスの開発陣を送り込んで、生産部門をてこ入れして、当時中国で売れ筋になるであろうと考えたモノクロ機です。

直販、間販、e販の三層戦略で

奥田 広大な中国ですから、直販だけで拡販するというわけではないと思うのですが……。中国の市場をどう分類しておられるのでしょうか。

山本 大きく三つに分けています。一つは先ほどから申し上げている直販です。人口が500万人以上の都市をターゲットにしています。

奥田 となれば、結構、数がありますね。

山本 沿岸地区を中心にして、今は28拠点で直販網を築いています。二つ目は間接販売です。

奥田 これは中国全土でということですね。 山本 そうです。そしてもう一つがe営業と呼んでいますが、インターネットや電話での販売です。この三層で、広大な中国全土をカバーしているわけです。

奥田 500万都市の28拠点で直販するということは、当然、現地の中国の人が売るということですね。その人たちの教育体制はどういうふうに?

山本 これが大変です。そこが一番苦労しているところです。まず、教育センターをつくり、カリキュラムを整える。そこから始めました。今はそこで半年間みっちりと鍛えます。売れた商品のメンテナンスも重要ですから、あわせてサービスエンジニア教育もやっています。それに、最近、問題視しているのが、競合他社による営業マンの引き抜きですね。直販では、主にハイエンドの商品を売っているのです。そういう商品を売るには、それなりのスキルを要するわけです。

奥田 そういうスキルをもっている人材が引き抜かれるわけですか。それはしゃくですね。

山本 まあ、それは仕方ないですね。

奥田 今、中国で競争相手といえば、どんなところでしょうか。

山本 日本の競合メーカーはすべて中国に来ています。それに韓国のサムスン、あとはヒューレット・パッカードです。当社は直販に力を入れていますが、中国は広大な土地ですから、大型やソリューションサービス型だけではなく、われわれも一般のボリュームがでるところも押さえなくてはならないということで、最近、ローエンドにも本格的に進出しました。約700社のITディーラーを抱えています。

奥田 いつからそういう方向に?

山本 2010年です。新たに間接販売網をつくり直して、それ用の“弾”も用意しました。

奥田 700社を使い、ローエンド商品を中国全土に売るということですね。弾というのは、カラー機ですか。

山本 カラー機とモノクロ機です。テレビCMもやっています。『レッドクリフ(赤壁)』の主人公のトニー・レオンを使っています。中国の広大なローエンドマーケットを本格的に獲りに動き出しました。

奥田 まさに意気込みが伝わってきますね。

山本 それに7月1日からは、当社の常務執行役員の徐正剛を中国における富士ゼロックスの「顔」として、中国事業総代表にしました。

奥田 出陣の人事ですね。中国市場への期待を聞かせてください。

山本 数年でわが社の全売上高の10%以上を中国で稼いでほしいと思っています。

奥田 直販に間接販売とネット販売。中国の市場で競合との戦いがし烈を極めそうですね。ご活躍を祈っています。

・だるま絵に雲外青天


 20年ほど前、信州の旅館で偶然に会ったお坊さんに書いてもらったそうだ。山本社長は、「のんびり構えて、でかく見ろ」と解釈しているという。


・インタビューこぼれ話


 質問すれど、回答はなかなか返ってこない。実に口の重たい方だ。この間(ま)が数時間に思えるのだ。取材の着地点として、「リーダーを選ぶ時の要素は何か」と聞いた。ようやく口が開いた。「口数は少なくてもいい。ぶれない人です」。実に納得した。(奥田)

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