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2012/11/29 09:31

インタビュー

[週刊BCN 2012年11月26日付 Vol.1458 掲載]

経営の基本は人づくり 言葉が伝わらなくても、心は伝わる
ユース・情報システム開発 代表取締役 舟橋千鶴子

 今年7月、初めてミャンマーのヤンゴンを訪れた。つい最近まで軍政下にあったこともあって、貧しい都市だろうと想像していたが、私を待っていたのは文化を感じさせる街並みや施設、そして人々の民度の高さだった。その際にご一緒してくれたのがユース・情報システム開発の舟橋千鶴子社長だ。舟橋さんは、ミャンマーのSIerといち早く業務提携を結び、人材の育成に力を尽くしている。ここに至るまでの経緯と今後のミャンマーの可能性についてお話をうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・大星直輝)

Profile

舟橋千鶴子(ふなばし ちずこ)
1940年埼玉県熊谷市生まれ。87年9月ユース・情報システム開発を設立し、代表取締役に就任。情報サービス産業協会理事、首都圏ソフトウェア協同組合監事を務める。

2012.9.19 /東京・千代田区内神田のBCN オフィスにて

専業主婦から起業の道へ

奥田 舟橋さんは、どんなきっかけでSIerの業界に足を踏み入れられたのでしょうか。

舟橋 医薬品卸の会社に勤務していた夫がその会社のコンピュータの導入にかかわり、自らプログラミングもしていたことから、1971年に独立して第一システムサービスという会社を設立しました。まだ富士通のFACOM230-15の時代です。それが最初のきっかけですね。

奥田 ご主人のお手伝いをしていた、と。

舟橋 いえ、そのときは専業主婦でした。ところが、その数年後に夫が病気になり入退院を繰り返すようになってしまいました。それでやむなく社長の代理として表に出て、金融機関との折衝から社員の採用までやるようになったんです。このままでは経営が危ないという時期には他社に出資を仰いだりと、当時は必死の思いで駆けずり回っていました。

奥田 まさに、社長の仕事そのものですね。

舟橋 ところがその後、社長が亡くなったため、仕事を辞めて実家に戻るか、独立して起業するかという選択を迫られました。結局、起業の道を選び、私が前の会社で採用した社員15名に来てもらって、現在のユースを設立したんです。

奥田 それはドラマチックですね。でも、前の会社の社員たちを説得するのは大変だったでしょう。

舟橋 「私には技術はないけれど、あなたを採用した本人なのだから親のようなものだと思っている。会社は人間を育てる場でもあるから、あなたが成長していくためのアドバイスをしたい。だから、ぜひついてきてほしい。決して給料の遅配などで迷惑をかけないから」と口説いたんです。それも携帯電話のない時代ですから、各人の自宅に電話をして……。会社の設立は87年の9月でしたが、その年の暮れにはボーナスを出すこともできました。

奥田 それは立派! 採用担当で実質的な経営者だから信用してくれたわけですね。

ミャンマーでも基本は「人」

奥田 今年で創業26年ということは、SIerとしては老舗ですね。いまはミャンマーとのかかわりをもっておられますが、海外との関係はいつ頃から始まったのですか。

舟橋 96年頃、当時アルパインが出資した東軟集団(現、ニューソフト)のオフショア開発にかかわりました。当社がアルパインに技術者を派遣しており、先方の担当部長が中国の瀋陽に赴任することになって、中国でのオフショア開発を検討している会社を紹介してほしいという話があったんです。当社自身は発注していませんが、私は何度も中国に行ってお客様を紹介し、その橋渡しをしました。

奥田 そうすると舟橋さんは、16年前、96年の中国を知っていらっしゃる。

舟橋 瀋陽や大連には毎年のように行きました。荒涼とした土地に次々と建物ができて、瞬く間に発展していく様子を目の当たりにしましたね。

奥田 それで次はミャンマーですか。

舟橋 あるシンクタンクに中国オフショア開発の橋渡しをしたというご縁で、2010年5月からミャンマーのACE Data Systems(ACE)でオフショア開発に取り組み始めました。

 当初、ACEには某社の社内システムを構築する仕事を出しました。まずは、日本語の仕様書を渡してトライアルさせてみたのです。

奥田 日本語仕様のプログラミングをするということは、日本語学校もプログラミング教育をする学校も必要だと思いますが、ミャンマーにそういう施設があったのですか。

舟橋 ミャンマーには日本語学校もあります。自主的に通っている社員もいましたが、今回10名の社員に対して、会社として強制的に毎日1時間ずつ通訳による日本語教育を行いました。それから、地元のヤンゴン大学にはIT関連の学部がありますし、コンピュータの専門大学もあります。ただ、大学を出ただけでは戦力にならないので、ACEの場合は、大卒者に対してトレーニングセンターで4か月間教えて、その後はOJTで3~4か月、さらに3か月の試用期間を経て採用するというかたちをとっています。

奥田 今後はミャンマーでどのような展開を考えていますか。

舟橋 中国、インドの次には、ベトナムやタイでのオフショア開発が注目を浴び、それに続いてミャンマーでのオフショア開発の可能性が出てきました。そんな事情があって、ACEからはぜひミャンマーに残って社員教育をしてほしいと依頼されました。ACEとはMOU(信頼関係に基づいた覚書)を結んでいますので、引き続きシステム開発の技術教育や品質管理と標準化などの教育、それに日本語教育も実施していきます。その際には、ミャンマーの開発手法を理解しながらも日本の技術のすぐれた部分を取り入れてもらうように教育していきたいと思っています。今後、ユースの開発センターをつくって、ACEをベースとしたオフショア開発を展開していきます。まだ土台づくりの段階ですが、オフショア開発を行うだけでなく、ミャンマーに進出する日本企業のサポート事業やミャンマーの国内市場に向けてICTサービスの提供も展開したいと考えています。

奥田 ミャンマーというと、まだ遠い場所というイメージがありますが、その魅力はどこにあるのでしょうか。

舟橋 日本から直行便が飛んで7時間ほどで行けるようになったので、これまでのように乗り継ぎ時間のロスがなく、仕事がやりやすくなりました。それと、魅力として大きいのはその国民性です。親日感情があって、ほとんどが仏教徒であることから、人間の精神といったものを非常に大事にしている国だと感じられます。

奥田 勤勉ですか。

舟橋 はい。まだ娯楽も少ないですし、よく勉強していますね。ですから、短期に能力を向上させることができるのではないかと思います。みんな気持ちが素直で、日本からの仕事をなんとか理解してやっていきたい、できるようになりたいという気持ちがものすごく強い。とくにそういう女性が多く、定着率も高いです。

奥田 やっぱり舟橋さんは人づくりですね。

舟橋 そうですね。いまACEの社員を預かっていますが、ヤンゴンに行くたびに彼女たちに声をかけたり一緒に食事をすることで、言葉がきちんと伝わらなくても、気持ちは伝わっていると思っています。

・お母様が描かれた花の絵


 舟橋さんのお母様は、若い頃からお茶とお花の先生をしておられて、活けた花の絵を描いてはお弟子さんにプレゼントしていたそうだ。舟橋さんはそのうちの一枚を、宝物のようにずっと大切にしている。


・こぼれ話


 おつき合いはもう10年以上になる。なぜか舟橋さんには突然会いたくなって、電話をかけると。「いいわよー」と優しい返事をいつもいただく。7月のことだ。ミャンマーを案内してもらった。現地のスタッフに「あなた、それダメよ」と、かなりキッパリと指示を出される。そうか、こんなにきついんだ。「ああこわ~っ」と思った次第です。

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